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【獣医療の最前線】犬のがん治療に期待が高まる、抗体薬を使った臨床試験[インタビュー]

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  • 水野拓也 山口大学教授
  • 抗犬PD-1抗体を投与した犬24頭における腫瘍の大きさの最大変化量(X軸の番号は症例番号)
  • 口腔内悪性黒色腫ステージ4の生存期間を本治療と他の治療(山口大学での過去の治療データより)で比較
  • 抗PD-1抗体療法のしくみ
  • 口腔内原発病変の肉眼像;治療前に認められた腫瘤(左・赤点線内)は治療開始67日後には完全に消失
  • 個体差とともに、同一個体内の腫瘍でも効果に差が見られる場合もある
  • 水野拓也 山口大学教授

昨年10月、山口大学共同獣医学部の水野拓也教授らの研究グループが、抗体薬を使って犬のがんを治療する臨床試験の成果を発表した。

肺に転移するまで進行したステージ4の「口腔内悪性黒色腫(口の中にできたメラノーマ)」15例中4例で、がんの大きさがかなり縮小する効果が確認された。

抗犬PD-1抗体を投与した犬24頭における腫瘍の大きさの最大変化量(X軸の番号は症例番号)抗犬PD-1抗体を投与した犬24頭における腫瘍の大きさの最大変化量(X軸の番号は症例番号)

悪性度が高く生存期間も短いとされるメラノーマだが、治療効果のあった個体の生存期間は従来の治療と比べ約3倍に延びた。

口腔内悪性黒色腫ステージ4の生存期間を本治療と他の治療(山口大学での過去の治療データより)で比較口腔内悪性黒色腫ステージ4の生存期間を本治療と他の治療(山口大学での過去の治療データより)で比較

免疫を利用してがん細胞を攻撃する薬

体内に腫瘍ができると、免疫機能が異物と認識してリンパ球(細胞傷害性T細胞)が攻撃を試みる。ところが、腫瘍細胞の表面に多く現れている「PD-L1」と呼ばれる分子が、T細胞の「PD-1」に結合すると免疫機能にブレーキがかかる。その結果、T細胞は攻撃をやめ、がん細胞が生き残って増殖を続ける。

山口大学で臨床試験を行っているのは、「抗PD-1犬化抗体」という物質を利用してこの結合を妨げ、免疫にブレーキが効かないようにする「免疫チェックポイント分子阻害抗体医薬」と呼ばれるものである。人間用のがん治療薬で知られる「オプジーボ」なども、同様の仕組みを利用したものだ。ちなみに、2018年に本庶佑博士が受賞したノーベル賞は、こうした「分子」の発見によるものだ。

抗PD-1抗体療法のしくみ抗PD-1抗体療法のしくみ

この治療は、メラノーマ以外のがんに対しても一部で効果が確認されている。犬の様々ながん治療への期待も高く、現在も臨床試験が続けられている。論文の発表から1年が経過し、研究の進捗について水野教授に聞いた。

臨床試験は101例に

----:昨年は、30例に関する発表がありました。患者さんは増えていますか?

水野拓也教授(以下、敬称略):全国から(犬と飼い主に)来ていただいており、現在までに71例の臨床試験を行っています。昨年発表した30例と合わせると、101例になりました。

水野拓也 山口大学教授水野拓也 山口大学教授

----:この治療法は、メラノーマに特に効くのですか?

水野:メラノーマの症例が多いのには2つ理由があります。人間用に初めて承認された抗PD-1抗体薬が、皮膚にできるメラノーマの治療薬でした。そこで、犬の場合も効果が高いだろうと考え、積極的に(メラノーマの犬に)参加してもらいました。もう1つの理由は、このがんは悪性度が高く、進行も早いため困っている飼い主さんが多いからです。

ステージ4のがんを克服した例も

----:改めてお聞きしたいのですが、効果はどのくらいですか?

水野:犬の場合、メラノーマには2~3割の症例でがんが小さくなり、効果があることが分かっています。それ以外のがんについては症例が少ないのですが、効果が見られる場合もあります。症例数が増えていけば、「このがんには何%くらい効く」と言えるようになると思います。

口腔内原発病変の肉眼像;治療前に認められた腫瘤(左・赤点線内)は治療開始67日後には完全に消失口腔内原発病変の肉眼像;治療前に認められた腫瘤(左・赤点線内)は治療開始67日後には完全に消失

----:ステージ4まで進んだ16例の生存期間(中央値)が166日とのことでした。過去に別の治療を行った23例では55日と、かなり効果があったと言えますね。「治った」犬はいますか?

水野:1頭は今も生きています。治療を始めた時にはステージ4で、肺への転移がありました。通常、余命は3か月から半年と飼い主さんにお伝えします。1年生きられるケースはほとんどありませんが、この子は2年半経った今も生きています。

もともと高齢であったため寿命で亡くなりましたが、治療開始後1年半生きていた子もいました。死後にご検体いただき体を調べさせていただいたところ、がんは完全になくなっていました。治療前は肺に大きい転移もあり半年生きられない状態でしたので、飼い主さんにはとても喜んでいただけました。

ほとんど副作用がないのも大きなメリット

----:具体的にはどのようなことを行うのでしょうか。1年前から、治療方法は変わりましたか?

水野:初期には、ラットの抗体を基にした「ラット-犬キメラ抗体」を使っていました。それを遺伝子組換え技術で犬化抗体に変更しましたが、それ以降は変えていません。その犬化抗体(薬)を2週間に1度、合計5回投与します。効果があったかどうかは、腫瘍の大きさを比較して判断します。

----:個体差はあると思いますが、すごく効く場合があるのですね。効くお薬は副作用も強そうな気がしますが…。

水野:ヒト(用の抗PD-1抗体薬)では副作用がある程度認められますが、犬には人間ほど副作用が出ていないようにみえます。簡単に言うと、この薬はがん細胞を攻撃するために免疫を増強します。上がった免疫によって、自己免疫疾患のように、がん細胞だけでなく自分の臓器も壊される場合があります。大腸炎や皮膚炎、甲状腺炎などが副作用として起きることがあります。

犬にも同じような副作用を予想していましたが、ヒトのような副作用はほとんどありません。キメラ抗体を使っていた頃は、発熱、下痢などが見られるケースもありましたが、犬化抗体に変えてからは(そのせいかどうかわかりませんが)ほぼなくなりました。ただし唯一、キメラ抗体を使っていたときに副作用によると思われる肺炎で亡くなった子がいました。人間の場合、間質性肺炎を起こす方がいらっしゃいますので、このケースも同じだと思います。それ以外は(副作用による死亡例は)ありません。

治療効果の個体差が今後の課題の1つ

----:治療効果に個体差があるのはどうしてでしょうか?

水野:抗PD-1抗体薬による治療では、効果に差があることが医療でも課題です。効く患者さんと効かない患者さんをどう見分けるかが、大きなテーマです。

(ヒト抗PD-1抗体薬の)「オプジーボ」は、患者さん1人あたり年間3500万円ほどの費用がかかることで話題になりましたよね。今は750万円くらいになりましたが、それでも多くの患者さんに投与すれば医療費を圧迫します。ところが、効果が見られるのは全体の2~3割です。どんな患者さんに効いて、どんな場合には効果が出ないのか研究が進められているところです。いくつか要因は分かってきていますが、「これ」と確実に判断できる指標がありません。

人間用でもそうした段階なので、犬に関しては詳しいことが分かっていません。できるだけデータを集めて分析していますので、数年以内に何らかの答えが出るのではないかと思っています。

個体差とともに、同一個体内の腫瘍でも効果に差が見られる場合もある個体差とともに、同一個体内の腫瘍でも効果に差が見られる場合もある

幅広いがんの治療効果が期待される抗体薬

----:今後はどのような計画ですか?

水野:当初から、製剤化するのを目標にしています。現在行っているのは獣医師主導臨床試験です。農林水産省(農水省)に治験届を提出するためには、どんながんに効くのか、どの様な効き方をするかなどの情報が必要なため、そのためのデータを集める研究です。提出のために必要な臨床試験はほぼ終わったと思いますので、農水省から治験の承認が下りれば、他の機関とも連携して幅広く治験を行います。治療薬としての承認が下りるまでは、もう少し時間がかかると思います。

----:一日も早く一般の動物病院で治療を受けられるようになって欲しいと思います。目途としては?

水野:私がこの抗体の元を作ったのは2013年でした。その頃は、「2020年くらいには(薬として出したい)」と思っていましたが、少し手続きなどに時間がかかっています。あと4~5年はかかるかな、と思いますが、なるべく前倒しできるように頑張っています。

----:ヒト医療では、抗体薬が色々ながん治療に効果を発揮しています。抗PD-1犬化抗体薬も、多くのがんから犬たちを救ってくれる可能性がありますね?

水野:「めちゃくちゃある」と思います。人間用の場合、例えばオプジーボは現在、10種類くらいのがん治療用に承認されています。この治療法の良い所は、がんの種類をあまり選ばない可能性があることです。がんによって免疫が抑えている状態であれば、効くことが予想されます。治療の幅は広がると思います。

----:薬の登場に期待しています。

水野:ありがとうございます。色々な犬の治療に使ってもらい、みんなで調べられれば研究も進みます。少しでも多くの犬たちを救えるよう、頑張ります。


水野教授のチームでは、別の抗体やウイルスを利用した悪性腫瘍の治療法も研究が進められている。選択肢が増えれば、がんを退治できる可能性も高まる。大切な家族の一員である愛犬が、少しでも長く健康で過ごせるよう、獣医療の更なる進歩が待たれる。なお、この抗体医薬の開発は山口大学とゼノアックが共同で取り組んでいる。ワクチン開発などでは海外勢の後塵を拝していると言われる日本の製薬業界だが、その底力に期待したい。

水野拓也:山口大学共同獣医学部獣医学科教授、獣医学博士
子どもの頃から動物と暮らし、臨床獣医師をめざす。学生時代に研究にも興味を持ち、臨床と研究の両方ができる環境を求めて大学の教員となった。私生活では「ネコ派」という。

《石川徹》

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