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犬の前立腺がんに対する新しい免疫療法、メカニズムや成果は?…東大が発表

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  • 東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医臨床病理学研究室 前田真吾 准教授
  • 腫瘍サイズの顕著な縮小と生存期間の延長が示された
  • 尿中にCCL17が検出された症例の多くでモガムリズマブの効果が示された
  • 23頭のうちBRAF変異が見られたケースでは、モガムリズマブによる治療後に悪化した症例は見られなかった
  • 東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医臨床病理学研究室 前田真吾 准教授
  • 東京大学 動物医療センター

今年2月、東京大学の前田真吾准教授(当時は助教)らの研究チームが、犬の前立腺がんに対する新しい治療法を発表した。ヒトの血液のがん(白血病やリンパ腫)治療に使われる抗体薬を投与することで、前立腺がんに罹患した犬の生存期間がこれまでの約3倍に延びたという。一般的な抗がん剤治療と比べて副作用のリスクは低く、生活の質(QOL)を下げることなく治療を行えるのもメリットと言える。

進行が速く治療が難しい犬の前立腺がん

犬の場合、前立腺がんは全腫瘍のうち0.1~1%と言われている。罹患率は低いが、進行が速いため病気になると予後が悪い。前田准教授によれば、治療しなければ「診断後の余命は1ヶ月ほど。これまでの標準的な治療である抗炎症薬の投与でも、生存期間の中央値は6か月程度と言われている」そうだ。

手術は大掛かりなものになるため、犬への負担が大きい。根治する可能性も低く、8~9割のケースで再発するという。さらに、膀胱(ぼうこう)をすべて摘出するため、オムツの常時着用が必要となり生活の質(QOL)は低下する。

9割を超える有効性

前田准教授らが行った臨床試験では、「抗CCR4モノクローナル抗体」(薬剤名:モガムリズマブ)という薬が使用された。標準治療薬である抗炎症剤(薬剤名:ピロキシカム)を24時間ごとに投与しながら、3週間に1度、前立腺がんと診断された23頭の犬に接種した。その結果、3割にあたる7頭で腫瘍サイズの顕著(30%超)な縮小が確認された。そのほかの14頭でも腫瘍が大きくならず、全体の9割を超える症例で効果が認められた。

一方、標準治療薬であるピロキシカムのみを投与した23頭では、35%にあたる8頭で病気が進行した。モガムリズマブを併用したケースでも悪化した症例があったが、2頭(約8.7%)にとどまった。生存期間(全生存期間:OS)も、この抗体薬を使った症例の中央値が312日だったのに対し、標準治療薬の場合は99日と約3分の1という結果だった。

腫瘍サイズの顕著な縮小と生存期間の延長が示された腫瘍サイズの顕著な縮小と生存期間の延長が示された

少ない副作用

こうした効果だけでなく、副作用が少ないこともこの薬のメリットだという。前田准教授によると、理論的にはアナフィラキシーショックなど重篤な副作用のリスクはあるが、これまで投与した100を超える症例では発生していないそうだ。リスクを完全に排除することはできないが、今のところ嘔吐や下痢、食欲不振、元気喪失など軽微な症状にとどまっている。現状では、安全な治療法と考えられる。

メカニズム1:腫瘍が免疫にブレーキをかける

モガムリズマブは、人間や犬などの動物がもともと持っている免疫の力を利用してがんを“叩く”。免疫は体内に侵入したウイルスや細菌などを異物と認識して攻撃するが、体内にできた異常な細胞も通常は免疫機能が増殖を防ぐ。だが、そうした異常な細胞が免疫を回避するケースがあり、増殖を続けて腫瘍になる。

前田准教授らのチームは、腫瘍細胞が「CCL17」という物質を多く出していることに着目した。CCL17は「ケモカイン」と呼ばれるたんぱく質で、体の中で細胞を移動させる働きをもつ。この物質は、免疫において重要な役割を担う「制御性T細胞(Treg)」の表面にある「CCR4」(受容体と呼ぶ構造物)に結合する特性をもつ。CCL17がこの受容体(CCR4)に付くと、Tregは腫瘍組織に向けて移動し中に入り込んでしまう。つまり、がんがCCL17を使ってTregを呼び寄せるのだ。

Tregの働きは、自分自身を攻撃しないように免疫にブレーキをかける。この機能が壊れると、自分の組織を異物と認識し破壊してしまう免疫介在性疾患(ヒトの場合は自己免疫疾患と呼ばれる)につながる。一方、このTregは腫瘍組織に入り込むと、本来は異常なものとして排除すべき腫瘍細胞に対する攻撃を抑制してしまう。がんを退治する免疫機能にブレーキをかけてしまうわけだ。

メカニズム2:モノクローナル抗体がブレーキを解除

モガムリズマブを投与すると、抗CCR4抗体がTregの受容体(CCR4)に結合する。すると、連結部を塞ぐような形になり、腫瘍細胞が発射したCCL17が結合することはできなくなる。その結果、免疫にブレーキをかけるTregが腫瘍組織に引き寄せられることはなくなる。

また、抗体が付いた細胞は、マクロファージやNK(ナチュラルキラー)細胞といった攻撃の役割を担う細胞が排除するようになっている。したがって、抗CCR4抗体が結合したTregもこれらの細胞に殺される。

このように、モガムリズマブ(= 抗CCR抗体)は、免疫のブレーキであるTregが腫瘍組織に引き寄せられないようにする。さらに、既に組織内に取り込まれたTregも殺すことで、腫瘍に対する免疫のブレーキを解除し攻撃力を取り戻す働きもする。

もう1つの大きな成果:事前診断

がんの治療では、ヒトの場合でも薬が効くケースと効かない症例がある。最新の治療薬は高価なため、効果に関する事前診断も課題の1つになっている。今回の臨床試験では、そうした指標、つまり「バイオマーカー」の特定にも発見があったのが大きな成果と言える。尿検査でCCL17が検出された症例では、多くがモガムリズマブによる治療の成果が出ている。

尿中にCCL17が検出された症例の多くでモガムリズマブの効果が示された尿中にCCL17が検出された症例の多くでモガムリズマブの効果が示された

また、「BRAF遺伝子変異を有する症例では、モガムリズマブの治療効果がより高い可能性も示された」と前田准教授は語る。「BRAF」は細胞の増殖に関わるたんぱく質で、その遺伝子に変異が起こるとCCL17が多く出されることが分かっている。犬の前立腺がんでは、症例の7割以上でこの遺伝子変異が検出されるそうだ。

23頭のうちBRAF変異が見られたケースでは、モガムリズマブによる治療後に悪化した症例は見られなかった23頭のうちBRAF変異が見られたケースでは、モガムリズマブによる治療後に悪化した症例は見られなかった

膀胱がんでも同様とのことだが、前立腺がんの場合はCCL17の量およびBRAFの遺伝子変異がバイオマーカーである可能性が高い。また、どちらも尿検査で調べることができるため、犬への負担もないのが利点だ。

今後の課題

副作用のリスクが低く治療効果も高い抗CCR4モノクローナル抗体による前立腺がんの治療だが、根治は望めないという。がんの進行を遅らせることは可能だが、完全に「治す」ためには今のところ手術が唯一の方法だそうだ。モガムリズマブは既に人間の治療用に販売されている。したがって、一般の動物病院でも投与が受けられるが、費用はかさむ。

手術や標準治療薬といった選択肢と、それぞれのメリット、デメリットを総合的に検討し、愛犬にとって最善と思う方法の選択は飼い主に委ねられる。難しい判断ではあるが、今までは、1~2割の確率で手術による根治に賭けるか、あまり期待できない標準治療薬に頼るという2択しかなかった。そこに、QOLを維持したまま大幅な延命も見込める、新しい選択肢が加わったのは大きな進歩と言えるだろう。


前田准教授は、基礎研究を獣医学の臨床に還元し、さらに人間の病気治療にも役立てることをライフワークとしていると語る。今回の研究も、毎年世界で約36万人が亡くなっているというヒトの進行性前立腺がんの治療につながることが期待されている。ヒト前立腺がんの一部の患者では、犬と共通のメカニズムで腫瘍内にTregが入り込んでいることも確認されたという。今後は、人間にもCCR4阻害剤の臨床試験を実施することで、新たな免疫療法が見つかる可能性も高い。

東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医臨床病理学研究室 前田真吾 准教授東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医臨床病理学研究室 前田真吾 准教授
《石川徹》

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