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油壺マリンパーク、最後のショーに鳴り止まぬ拍手…53年間の感謝を込めて

京急油壺マリンパーク
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9月30日、神奈川県三浦市の水族館、「京急油壺マリンパーク」が53年の歴史に幕を下ろした。最終日は平日にもかかわらず多くのファンが詰めかけ、イルカ・アシカショーの最終公演では思わず涙ぐむスタッフ、観客の姿も見られた。

地域密着型の水族館

1968年に開園された油壺マリンパークは、当時、東洋一とされた回遊型円形水槽が話題を呼んだ。他にもマンボウの国内初飼育、メガマウスシャークの標本、ダイオウイカの標本など、海洋研究や貴重な資料も豊富だ。魚が計算をしたり信号機を守ったりといった魚のショー、カワウソと握手ができる体験型展示も、ここ油壺マリンパークが元祖といえる。

三浦半島に位置する同パークは、展示する魚も業者から購入するのではなく、地元の漁師から提供してもらうことが多い。ダイオウイカは横須賀・走水港で発見されたものだ。また、神奈川県内の幼稚園や小学校であれば、ほとんどが遠足に訪れる場所でもる。53年の歴史の中では、自分が子どものころ親に連れていってもらい、自分の子どもと、さらに孫と一緒に行ったという人も少なくない。まさに、地域密着型の水族館だ。

地域密着という点では、近くに葉山御用邸のある皇室ファミリーとも縁が深い。昭和天皇はヒドロ虫の研究、上皇陛下はハゼの研究が有名だ。秋篠宮殿下は魚類研究者でナマズ愛好家としても知られ、「ナマズ殿下」の異名も持つ。「皇室ファミリーは、御用邸にこられると、お忍びでよく来園されていた。」とは中井武館長の言葉だ。中井館長は、秋篠宮殿下とも交流があり、御所にナマズを届けたこともあるという。

生き物たちは引っ越し

みんなに愛された油壺マリンパーク。閉館の理由は、施設の老朽化だという(広報部)。改築やリニューアルの話もあったそうだが、コロナ禍で減った来場者の回復が見えない中での最終判断となった。

幸い、全ての生き物(魚、ペンギン、イルカ、アシカ、カワウソなど)、貴重な研究資料や標本の引っ越し先、引き受け先は決定している。行き先は非公開だが、引っ越し先は繁殖・保護を最優先で考えた(中井館長)という。また、マリンパークのスタッフや従業員の再就職先もほぼ決まっているそうだ。

「53年間、ありがとう」

この日、イルカ・アシカショーのステージである「ファンタジアム」では、通常どおり4回のショーが行われた。最終公演となる4回目のショーは、開演前から長蛇の列ができていた。幕が開くと、通常のショーにはない「館長あいさつ」から始まった。ショーの最後は、スタッフ全員による御礼の言葉で締めくくられた。

幕が降り切って照明も明るくなっても、誰一人席を立たない。別れを惜しむかのように拍手を続ける観客。「さようなら」ではなく「ありがとう」という気持ちを込めて、動物たちとスタッフを見送った。

《中尾真二》

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