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【ズボラ女子とわがままウサギ vol.16】突然やってきたけまりとのお別れの日

ホーランドロップイヤーのけまり
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「けまり」の体調は全快ではないながらも、時々安定を見せる微妙な日々が続いていました。何とか柔らかくて美味しい高級チモシーだけは食べてくれるようになり、「急死することはないだろう」と少し安心し始めた矢先、突如容体が急変します。

おしっこが出ないという緊急事態

世の中のコロナの状況も少し落ち着き、十分な感染対策などをした上でイベントなどが少しずつ開催され始め、微妙ながらも仕事で外出する機会が増え始めた頃、事件は起こります。

ある日、久しぶりの外出から帰ってくると、けまりがトイレの上にうずくまっていたのです。しかも私が朝、出かける前に補充をして行ったご飯は多少食べているにも関わらず、どこを見ても、オシッコもうんちもしていません。

そして、トイレの上でうずくまっては、少しすると立ち上がり、体の向きを変えたりしながら、何となく排泄をしようと試みるけど何も出ないというような、苦しそうな素振りを繰り返していたのです。

私は「けまり!おしっこ出ないの?」と驚き、急いでお腹をマッサージしたり、背中をさすったり、一生懸命排泄の手助けをしたのですが、その苦しそうな素振りは一晩中続きました。

何度か救急病院に行くことも考えましたが、これまでにも幾度となく連れて行った救急病院は、どこもウサギの処置は専門ではなく、可能な限りの対処をしてくれるだけで、「次の日に専門の病院に行ってください」という対応だったことに加え、次の日の朝には主治医のいる病院を予約していたため、私は朝までけまりの様子を見るという判断をします。

そして、一晩中けまりをさすり続けていると明け方、なんとかオシッコをしてくれたのです。

「良かった!」けまりの慢性腎不全が発覚してから、「一番危険なのは、うんちよりオシッコをしないこと」と、病院で言われていた私は、オシッコをしてくれたことにホッとし、そのまま病院がオープンする直前に到着できるように、けまりを連れて家を出ました。

診察では血液検査によって、肝臓の数値が急激に悪くなっていることが発覚し、急性腎不全と診断されます。そして、「夜までにオシッコが出るようにならなければ、危ないかもしれません。ステロイド剤を注射しておくので、帰ったら強制給餌をするのと、オシッコをしたら点滴をしてください」という指示を受けました。

その日の診察代は、1か月分の薬代や数日分の点滴代などを含め、約6万円。「高いけど、これでけまりが助かるなら、しょうがない」私は、「今日の夜までにオシッコをしなければ危ないかもしれない」と言いながらも、たくさんの薬を処方した先生の様子に、少し安心しながら帰路につきました。

「絶対大丈夫。それより、点滴…できるかなぁ」

突然のお別れと後悔

けまりとの別れは、想像していたよりも突然でした。家に帰り、「今日も頑張ったね~」と、いつも通りキャリーを開けると、脱力しきったけまりの姿が目に飛び込んできます。

まだ息はしているものの、全身に力が入らない様子の変わり果てたけまりの目には輝きがなく、直感で「もうダメ」であることを感じましたが、それでも諦めることができなかった私は、わずかな希望をかけて、すぐに病院へ電話。帰ってきたばかりの足で、急いで病院へ戻りました。

病院に到着すると、タイミング悪く先生はお昼休憩に出ていて、看護師さんから「今日は入院になるので、4時ごろ一旦電話してください」との指示を受けます。

そして、コロナ禍で病院に立ち入る人数が制限されており待合室で待つこともできなかったので、私はそのまま電車で元来た道を戻ることに決めました。

「絶対大丈夫」私は不安になりながらも、何度も何度もそう自分に言い聞かせながら電車に乗り、帰路に着きます。しかし、もうすぐ最寄り駅に到着するというタイミングで、病院から着信があったのです。

「まだ、4時じゃないのに…」

嫌な予感と、もしかしたら脱力の原因が分かったのかもという期待、両方の気持ちを入り混じらせながら電話に出てみると、「けまりちゃんの呼吸が止まりました。今、先生が蘇生措置をしているので、すぐに戻ってこられますか?」と告げられます。

「なんで私は、けまりを置いて帰ってきてしまったんだろう」、「もう、ダメだと分かっていたのに、なんで病院に連れて行ってしまったの?」、「なんで、最後は一緒にいてあげなかったの?」。いろんな後悔が、こみ上げて来た瞬間でした。

電話を受けてからけまりを迎えに行く間、脳裏に浮かんだたくさんの「なんで?」。結局、どの選択をしても、きっと後悔はしていたと思いますが、その中でもやはり「最後は一緒にいてあげたかった」。それが、一番の後悔でした。

先生の必死の蘇生処置も効果はなく、迎えに行くとけまりは、もう死後硬直が始まっている状態でした。悲しくて仕方がありませんでしたが、思ったほど涙は出ず、動かなくなった姿に、正直ホッとした自分が居たことを覚えています。

そして、「きっとずっと苦しかったから、無理に頑張らせてごめんね。頑張ってくれて本当にありがとう」そんな気持ちで病院を後にしました。

段ボール箱に入ったけまりはずっしりと重く、私はその重みに「大きくなったね」と少しの幸せを感じつつ、再び電車に乗車。「午前中に買った、たくさんの薬とか、点滴セットとか、どうすればいいの?」と、いつものように話しかけながら、その日3回目の帰路に着いたのです。

《先川知香》

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