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【僕と愛犬の癌闘病記 vol.10】“その日”は突然やってくる、悲しみと感謝が複雑に入り乱れる最後の感情

パピヨンのルナ
  • パピヨンのルナ

日々弱っていくルナを見ていることで、自分の中である程度の覚悟はしていたつもりでしたが、その覚悟はとても甘いものであり、得も言われぬ感情が僕を満たすことになりました。

いつもと変わらぬ朝のルーティン、食べてもらう手間も愛おしく感じる

一緒に寝て、一緒に起きての日々を過ごす僕とルナ。寝起きボーッとしながらもルナの朝食を準備します。癌が発覚してからずっと気に入って食べている薬膳クッキーにカロリー飲料を混ぜたモノなのですが、出すと迷わず美味しそうに食べてくれます。たまに違うモノを出してみると匂いを嗅いでそっぽを向き「これ、違うでしょ?」と分かりやすく訴えてきて改めて準備することになるので、まずは毎朝この組み合わせとなっていました。

元気な時はお座り状態で食べていたのですが、ある時からは伏せの状態で食べることになり、お皿の端まで届かない時は僕が指で食べやすい所に集めてあげるようにしていました。いつしかそれがルナにとって当たり前となって食べにくくなったら目で訴えてくる。それがまた可愛いなぁと思える瞬間でした。

「行ってきます」という普通の言葉が、特別な言葉に変わった日

ルナと朝のルーティンをこなした後、その日は仕事があったので自分の準備を始めました。といっても男の準備なんて簡単なものなので20分もかからずに完了します。出がけにいつも通りルナの頭を撫でながら「行ってきます」と言えばキラキラした目で僕を見ながら尻尾を振ってくれ見送ってくれます。

仕事場までクルマで移動して取材ロケを順調に進めていたのですが、15時過ぎに家人から「ルナが危ない」という連絡が来ました。いやいや、朝はちゃんとご飯食べたし元気に見送ってくれたし…。今までの人生で一番動揺したかも知れません。そこからの仕事は気持ちと身体の感覚が一致せず関係者に迷惑をかけること多々。ただある程度の事情は知ってくれていたので取材完了に向けて出来る限りのスピードアップを図ってくれました。

本当に申し訳ないと今でも思うのですが、気持ちはかなり上の空で目の前は霞みがかった感覚です。かといって仕事を投げ出すわけにはいかない状況なので出来る限りのことをやっていると、僕のスマホにメッセージが届きました。“いまルナが旅立ちました”と。その瞬間、朝ルナに伝えた「行ってきます」が僕とルナにとって最後の言葉となりました。

受け入れたくない出来事、受け入れないといけない現実の戦い

メッセージを受け取ってから30分ほどで仕事が完了し、僕はクルマで自宅に向かいました。何も考えられず頭の中は真っ白、でもその真っ白なことに集中しているのか、まるでノイズキャンセリングされているぐらい無音に感じる時間をただただ運転しながら過ごしていました。家まで半分ぐらい走った頃でしょうか、ルナと出会った頃からの思い出がパラパラと浮かんできて、初めてこれが走馬灯ってヤツなのかと実感。ここで事故を起こして何かあってはいけない、ルナに会わなくちゃと強く思いながらいい大人が涙を流しながら運転していました。

どうにか家に到着してルナと対面すると寝ているようにしか見えません。その身体に触れてみてもまだ温かさも感じました。ただ、抱き上げると死後硬直が始まっているのか少し固くなっていて、当然目を開けることはありません。そこで初めてルナの死を実感して耐えきれず数十年ぶりに声を出して泣いてしまいました。猫派の僕に犬の良さを教えてくれ、こっちが心配になるぐらい手間のかからない利口さを持ち、平坦ではない僕の人生に付き合ってくれ、闘病中も飼い主のわがままに耐えてくれたルナ。今思い出しても感謝しかありません。これでもかと泣いたあとに落ち着きを取り戻すと、お世話になった東京大学附属病院・動物医療センターへ連絡を入れました。

医療の未来へ繋げることで病気の撲滅に寄与できればという思い

東京大学附属病院・動物医療センターで臨床試験を受けることにした時から自分の中で決めていた事があります。それはルナが亡くなった時には検体として役立ててもらうという事です。

臨床検査薬のデータを取るためには経過観察だけではなく、出来る限りの検体データが必要だと聞いていて、もし可能であればお願いしますと最初の段階で伝えられていました。同じ病気で苦しんでいるワンちゃんも当然いるだろうし、飼い主としてこの病気が治癒するもの、少しでも長く生きられる病気になってくれればという思いがありました。もう診療時間は過ぎていましたが、夜間受付の番号へ電話をして状況を伝えると待っていてくれるということだったので、即連れて行くことにしたのです。

病院へ到着したのは21時過ぎ、担当の先生がルナの姿を見て涙をこらえてくれたのが強く印象に残っています。翌日に検体解剖を行って、夜迎えに来るか後日に来るかと聞かれたので夜迎えに来ますとお伝えしました。その日の夜はずいぶん久しぶりの独り寝で半覚醒状態だったのを覚えています。

崩れた朝のルーティン、ルナグッズを見て悲しみが膨らむ

朝起きてもルナはいない、周りを見ればベッドやトイレがあるけれどルナはいない。何かが目に入るたびに涙をこらえながら過ごしていました。15時頃に病院から連絡があって20時には終わるのでお迎えよろしくお願いしますとのこと。それまでの間に火葬場の予約やレンタル品のペットカート、酸素室の返却準備をしていました。そして一通りのやることが終わった頃に自宅を出て病院へ。改めてルナと対面することになったのですが、予想とは違う状態で僕の元へ戻ってきました。

検体解剖を行うということは臓器などは全て取り出した状態となるのでストレートに言えば継ぎ接ぎだらけの状態を覚悟していたのですが、ルナの姿はとても綺麗で寝ている様にしか見えません。そのことを聞くと検体解剖を行った後には綺麗に洗って見た目も崩さず、状態を出来るだけ維持できるように処置をしてくれるそうです。最後の最後まで綺麗な姿のルナと過ごせる、これはとても嬉しかったです。

家へ連れて帰った日は布団の横にベッドへ入っているルナを置いて寝ました。たぶん飼い主あるあるだと思いますが目の錯覚なのか何度もお腹が動いているように見えて生きているんじゃないのか? と何度も確認することに。そんなはずは無いのだけれど。

翌日は予約していた火葬場へ連れて行き最後のお別れですが、行きがけに大量の花を買い込んで火葬台の上を花で満たしました。飼い主にとって最後の自己満足です。火葬されている間は別室で待機して物思いにふけることとなり、楽しかった思い出も多々ありますが、後悔することも多々あります。そして骨となったルナを骨壺へ収めて今は自宅で僕を見守ってくれています。

キラキラした視線はありません。尻尾もぶんぶん振ってはくれません。それでも僕はルナに毎朝伝えています。「行ってきます」と。

《藤澤純一》

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