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【僕と愛犬の癌闘病記 vol.1】思いもよらない告知、愛犬とのこれまでとは違う生活が始まる

パピヨンのルナ
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「とても残念ですが、悪性腫瘍、移行上皮癌です。癌の中では比較的進行の早い癌で、全身に転移していきます。早いと1~2ヶ月、長くても1年は厳しいかと思います」。

余命宣告を受けたのが今年の5月。その時は、覚悟半分、信じたくない気持ちが半分で診察室にて説明を聞きました。

愛犬はパピヨン、今年15歳になったルナと言います。獣医さんの話を聞いている最中も診察台の上でワタワタしている姿を見ると、まさかコイツが? という思いが頭の中を駆け巡り、宣告を100%受け止められる状態ではありませんでした。しかし、これからの生活を考え獣医さんと治療方針を含めて話し合うことに。それは、飼い主としての責任の重さを再認識する内容でした。

獣医さんから出されたいくつかの選択肢…飼い主の僕、本気で悩む

見た目は元気にしている愛犬ですが、検査結果と照らし合わせて病状を説明されていくうちに、見えない部分では大変な事になっているんだな…と認識することに。治る可能性は限りなく低い病気であり、徐々に日常生活でも困る部分が出てくるとのこと。そして日常生活も苦しい状態まで病状が進んだときには、“安楽死”も選択肢に入ると言われてショックを受けました。

そのような状況下で僕がまず最初に決めなければいけないのは、治療方針について。外科的手術は難しく、やったとしても全ての癌を取り除くのはほぼ不可能。そうなると治療方法は“抗がん剤治療”を行うか、“QOL(クオリティ・オブ・ライフ)”を優先した投薬治療を行うかという選択肢が出されました。

獣医さんが各々の治療に対する説明をしてくれましたが、僕の中で抗がん剤治療はどうしても“副作用が出やすい”という言葉が引っかかることになります。今、目の前で普通に元気そうにしている愛犬が、飼い主の判断で行うことになる抗がん剤治療に耐えられるのだろうか。その副作用に苦しむ姿を見て、僕も耐えられるのだろうか、と。そして抗がん剤治療を行ったとしても劇的に余生が長くなるわけではないという説明を受けて、ならば今の状態を少しでも長く維持出来るような治療を受けた方が良いと判断しました。そこから今日現在まで、今までとは生活も気持ちも違った形で過ごしていくこととなります。

ペットを飼って得られた感情は自身の根本を形成

僕は基本的に寂しがり屋なのだと思います。一人でも生きていける! と強気な面を表向き演出しながらも、自分の身近に誰かがいないとダメになってしまい、それが人であれ猫や犬でも一緒に過ごしたいと思うタイプです。

小学校3年生の頃、当時通っていたそろばん塾(履歴書に書けない4級で辞めてしまいましたが)で飼われていた猫が子供を産みました。ミャーミャー鳴いている子猫を見て、とても癒された記憶があります。その塾の先生が子猫の貰い手を探していると言っていたので親に相談もせず、自分が目の周りに発疹が出来て痒くなる猫アレルギーだと知っていながらも塾の帰りに連れて帰ったのが初めて猫を飼うきっかけとなりました。アレルギーは耐性が出来るのか、今はまったく発症することはなくなりましたが。

親は親で猫が嫌いではなかったので渋々許してくれて、当時住んでいたアパートの大家さんにも許可を取り一緒の生活が始まりました。今では考えづらいですが、家の中と外を自由に出入りする状態で飼われていて、夜に寝るときは僕の布団横に置いてある箱の中で丸まって寝るような生活です。この頃から僕にとって、ペットとは生きていくのに必要な存在になります。

猫派の僕が愛犬ルナとの生活を始めた理由

最初の猫は13年で天寿を全うし、その猫が産んだ子供が20年で天寿を全うしました。ペットがいない暫しの空白期間を経た後、やはりペットと一緒に過ごしたいなと思うようになりました。インターネットでペットを検索する日々、あーでもないこーでもないと妄想に浸っていましたが、ふと思い立ってペットショップへ行ってみることに。そしてそこで、今一緒に過ごしている愛犬ルナと出会ったのです。

ペットショップへ入ると、店内奥側には子犬や子猫が過ごす個室のようなケージが並んでいました。そこを目指して歩いていると、床に置かれたサークルに1頭の子犬が。それを横目でチラリと見ながら奥へと進み、個室ケージを眺めていると子犬なので当然の様に可愛く見えますよね。わちゃわちゃと動く子犬や子猫を見ているだけで心が温かくなる感覚を味わいながら、何度も往復。

その時にふと目に入ったのが、最初に見た床に置かれたサークルの子犬です。ちょこんとお座りして目線をずっと僕に向けています。数秒ほど見つめ合った後に僕がケージへ近づくとゆるーく尻尾を振ってアピールしてくる姿がとても可愛く、タイミング良く店員さんから“抱っこしてみますか?”と言われてサークルから出してもらうことに。大人しく僕の上で丸まっていて、撫でても嫌がる様子がありません。ペットショップにいた犬猫の中では比較的大きくなっていた(確か生後5ヶ月ぐらい)ので、付けられていたプライスも相場を考えれば驚くほどの低価格。僕の横では店員さんが必死のセールストークを繰り広げているけれど、そんな話は完全に聞き流して、僕の脳内では自分への言い訳が並んでいました。“初対面でこんなに懐いてくれるし”“とっても可愛いし”“ずっと見つめてきたし”“あーこりゃ運命だわ”…などなど。人間、こういう時には言い訳が必要ですが、自己完結で言い訳を成立させることに成功します。こうなったら事態は川の流れのように進むだけで、その場でこの子を迎え入れることを決めました。

人生初となる犬との生活なので、必要な物も分からずに店員さんから勧められた物を購入して持ち帰ることに。子犬は数日後の受け渡しとのこと。家に帰れば、子犬が来た時を妄想しながらトイレやらケージをにやけ顔で設置。不安材料は一切無し、準備万端でとうとう子犬を迎える日が来るのです。

ここから僕と愛犬の喜怒哀楽、いや、最初は喜怒怒怒怒怒苦楽でしょうか、そんな生活が始まりました。

《藤澤純一》

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