10歳のとき、九死に一生を得たゴールデンレトリバーの愛犬「アレックス」。奇跡的に容態が回復してからは、アレックスと過ごす毎日を特に大切に過ごすようになりました。
老いることを悲観するどころか、日々の変化さえも全力で楽しんでいた“おじいちゃん犬”。その姿はいつだって私たち家族を癒してくれました。
素敵な老犬ライフ
ある時、「アレックス」と呼んでも、アレックスは振り返りませんでした。いよいよ耳が聞こえなくなってしまった、と動揺を隠しきれずにいると、次の瞬間なんだかちょっと面倒くさそうに振り向いたのです! 歳を取ってもさすがは賢いゴールデンレトリバー。声色から、大した用事ではないことに気付いていたのかもしれません。「なんだ、聞こえているじゃない!」と抱き着くと、フフンッと半笑いのおじいちゃん犬でした。
おもちゃに関しても同様です。かつては新しいおもちゃを買ってくると楽しく&激しく遊んで小一時間で壊していましたが、歳を取ってからはボールを投げると「あちらに飛んでいったようですよ?」と私に視線で“指示”するようになりました。もはやどちらが遊んであげているのか分かりません。
11歳になると顔は白髪で真っ白になりましたが、そんな真っ白い顔でほほえむ笑顔が愛おしくて、あの頃は毎日写真を撮りました。今思えば、そんなアレックスのおかげで写真が少し上達したような気もします。
もちろん、出来ないことも少しずつ増えていきました。夜は両親と一緒に2階の寝室で寝ていましたが、階段が登れなくなってしまったのでアレックスだけ1階で眠るようになりました。それでも、あんなに甘えん坊だったアレックス自身がそのことを悲しがる様子はなく、1階のリビングで寝床を見つけてぐっすり眠っていました。自分の状態を悲観することのない老犬の過ごし方は、いつだって新鮮でした。
自然と集う、老犬の飼い主仲間
類は友を呼ぶのか、気が付けば自分の周りには「老犬LOVE」な仲間がたくさんいました。散歩で出会う近所の「犬友達」もみな同じように飼い犬が歳を取っていくので、お互いにちょうどいい距離感の相談相手になりました。母の友人の中には歳を取った愛犬に魅了され、盲導犬を引退した老犬を引き取るボランティア活動を始める人まで現れました。
また、老犬の可愛さは飼ったことがある人なら非常に共感しやすく、LINEで“老犬スタンプ”なるものを集めたことも。一見マニアックなスタンプに見えますが、「起きているのか眠っているのか分からない様子」や「ウンチのときに足腰がぷるぷるする様子」など、どれも面白いくらい老犬ライフのリアルを表していて、当時はもちろん、アレックスが旅立った今でもつい多用してしまうほどです。
寂しがって過ごすよりも、楽しんで見守る。老犬の飼い主コミュニティはいつも温かく、もれなく全員が「歳を取るごとに日々愛おしさが増していくんだけど!」と、愛すべき親ばかでした。
旅立ちさえも穏やかに
足がふらついていても、散歩中にアレックスが私を見上げる表情はいつも笑顔でした。当時の写真を振り返ると、旅立つ1週間前に撮ったとは思えないほど元気に散歩している姿が残っています。
寝ている時間が少しずつ増えて、ごはんを食べる量が徐々に減ってきたアレックス。13歳と3か月、ついにアレックスは一人で立ち上がることができなくなり、やがて水も横になったまま飲むようになりました。私たち家族も、言葉にせずともそれぞれ覚悟をしていました。そして、立ち上がれなくなってから1週間後、快晴の7月1日に、母に看取られてアレックスは穏やかに旅立ちました。私たちに介護の世話を焼かせてくれることもなく、泣きたいほどに最期まで賢くおりこうさんでした。
アレックスが教えてくれたこと
アレックスが居なくなったショックで、この先ペットをお迎えすることは一生できないような気がしていました。しかしアレックスが旅立った1年後、実家を出た私は、一人暮らしの相棒に猫をお迎えしました。失うのはいつだって悲しいけれど、それ以上に毎日がとても楽しいよと、背中を押してくれたのもアレックスだった気がしています。
一緒に過ごす「今」を精一杯楽しむために。私は今日も、猫の「今ならでは」の姿を残すため、カメラを構え続けています。
こさい たろ:フォトグラファー
2年前に、猫と一緒にお嫁入りしました。現在、夫と猫と娘(0才)の3人&1匹でなかよく暮らしています。